桃山台への小さな旅('12/02/19) ~懐かしの名曲とともに~

2月19日、久しぶりに泉北の桃山台へ出かけてきました。
桃山台への小さな旅は、2009年6月、6100系の追っかけをしたとき以来です。
http://asuka2.at.webry.info/200907/article_2.html

今回は、うちを出て駅に着くまでは「夕日を浴びて輝く金閣」にするか堺へ行くか迷っていました。
するとちょうど関空・紀州路快速が来たので、阪和線で出かけることに決定。

それにしても、東日本の「かいじ」や、この「紀州路快速」とか、イマイチなネーミングです。
一瞬、え?何それ?と思ってしまうなじみのなさが弱点です。
パソコンでも、一発で変換してくれるのは「大和路快速」だけ。
「大和路快速」これは秀逸、素晴らしい愛称ですね。

さて、阪和線には長いこと乗っておらず、高架になってからは初めてです。
最新鋭の225系5000番代の快速は性能を持て余し気味で、鶴ヶ丘までチンタラチンタラ。
各停を追い越してようやく加速しても、昔の103系の快速のような全力疾走(いや、限界超えるような感じ)
でなくて、まったくつまらない限りです。

昭和61年11月の改正までは堺市から天王寺までは最速7分でした。
あの頃、103系や113系が爆音立てて激走する快速は乗っていて楽しかった。

国鉄時代の阪和線と言えば、なんとなく町はずれを走るお古の巣窟だったのが、沿線に高層マンションが
立ち並び、最新鋭の225系5000番代の大量投入とか、ちょっと信じられない気分です。

さて、各駅の上りホームに撮り鉄氏が数名ずつ。
これは天王寺から何かがやってくる!そう思い、堺市で降りて私もしばらく上りホームで待機。

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いまだに103系が当たり前に走っていることがすごい。
細かい部分は昔と違うけど、イメージは昔のまんま。

ちなみに、昔は各停も6両でした。
4両編成というのは短編成化+本数増を本格的に始めた昭和61年11月のダイヤ改正からだと思います。

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いろいろな要素の妥協形とでも言えばいいのでしょうか。
乗り心地がいいことは確かではあるのだけど、全体的に何かちぐはぐなイメージをぬぐえません。
最近の新車は走行性能だけしかよくないものが多い(それはそれでいいけど)。

カッコいい、速そう、という「文化」はどこへ行ってしまったのでしょうか。

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205系1000番代、たまにこういう珍客がやってきます。

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どうやら撮り鉄氏のお目当ては、ダイヤ改正でなくなってしまう、この「スーパーくろしお」だったようです。
それにしても、この素人がデザインしたような安っぽいカラーリング、なんとかならないかな。
どうせやるなら、九州みたいに徹底的にやってほしいものです。

今からもう35年ほど前のこと、堺市駅南側の踏切がまだ手動だった頃、小学生だった私は(親に内緒で)
ちょこちょこ自転車でここまで遊びに来て、阪和線の電車を眺めていました。
踏切警手の方におぼえてもらったのか、警手小屋に入れていただいたこともありましたね。

昔は全日空の「ジュニアパイロット」(ちびっこひとり旅) は搭乗時に操縦席を見せてくれたり、
子供たちにほんの少し大人の世界を見せてくれて、夢を育ててくれたんですよね。

紀勢線が電化されたのもちょうどこの頃、登場したばかりの381系「くろしお」を拝むことができました。
キハ81のあまりのカッコ悪さとキハ82のカッコよさは子供の私にもわかるほどでしたが、
そこへピカピカの381系の出現、振子車特有の大きな裾絞りは、下から見上げるとほんとうにスマートで
カッコよかったですね。

あの頃の381系のイメージが強すぎて、車高が高く車体に丸みのないKATOの381系は全くダメなんですね。

この頃のいちばんの思い出の曲はこれかな。


http://youtu.be/V5RiuwHY2K8

小学校で帽子を投げる真似が流行ったものです。
バックのオーケストラもうまい!

さて、これで撮り鉄氏も引き揚げのようだったので、私も撤収。
一度改札を出て駅の周りを散歩。

駅東側の商店街、昔はすごく賑わっていたのに、なんか寂れてしまっていました。
駅西側には立派な高層マンションができたというのに。
御堂筋線が伸びて、新金岡団地の人たちが来なくなったからでしょうか。

市駅から堺東まで散歩でもしようかと漠然と考えてやってきたこの日、結局泉北へ向かうことにしました。
乗り換えの三国ヶ丘はお隣です。
阪和線は快速も三国ヶ丘に停まるようになりましたが、南海はいまだに準急と各停しか止まりません。

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30年以上前からほとんど変わらぬままだった南海の三国ヶ丘駅も、ついにバリアフリー工事が始まりました。

栂・美木多までは準急で一本です。
泉北高速線内はまったりとした走りで、これ100キロ出てるの?って感じでした。
スピードメーター見てくればよかったな。

ちなみに、昔住んでいた線路沿いの団地は、工事のネットが張られていて隠れていました。

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栂・美木多に着きました。
このあたりの風景は昔とほとんど変わりません。

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前回は緑の豊かな6月。今回は葉が落ちた冬。
空が広くなる冬もまた素敵です。

通い慣れた?緑道をてくてく歩いて行きます。
日曜日の夕方だからなのか、人通りが少なく、道沿いの団地も静かでした。
少なくとも道の半ばまではもう少し賑やかだったような気がするのですが。

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野々井遺跡です。前回より味のある写真が撮れました。
中3のとき体育祭の準備で徹夜した思い出の場所。
ここで食べたサッポロ一番みそらーめん、今もなお、鮮明に覚えています。
大きな鍋、めんの微妙なのび具合、ほんの少し薄かったスープの味。
一緒に徹夜した担任のT先生はもうあと数年で定年の大ベテランのはずです。

前回の記事の再録ですが・・・

1983年9月、中3の体育祭の前日、応援合戦の出し物の準備が終わっていなかった我が3年4組のメンバーは、
下校後、担任のT先生とともに、ここに集結し、準備を始めました。

初めは女子もいましたが、夜も更けてきたので女子は全員帰宅し、残りの男子数名は自宅に連絡をしたり、
一度帰宅して保護者に了解を取ったうえで、引き続き徹夜で準備をすることになりました。

みな熱心に作業をしましたね。
非日常のイベントが、熱気に拍車をかけてくれたのでしょう。

朝4時すぎのことでしょうか。

徹夜組のK君(元気かなあ)のお母さんが、なんと、大きなお鍋に「サッポロ一番みそらーめん」をたくさん
作ってわざわざ差し入れに来てくれたのです!!

もう、メンバー一同大感激!!

あのとき、メンバーの一人O君が、最高の笑顔で「うまい!」と喜んでいたのが忘れられません。
私も、あのとき食べたラーメンのスープの味加減、麺の微妙なのび具合、それを今もはっきりと覚えています。

感動の瞬間でしたね。

現代の、理解のない保護者なら、差し入れどころか、学校や教育委員会に苦情の電話を入れたことでしょう。
今、同じことをしたら、担任の先生は服務事故などと言って処分されたでしょう。

でも、29年前のこの出来事が、私の人生の最高の思い出の1つとして今も生き続け、心の支えになっている
事実を考えるとき、何から何まで事なかれ主義を貫くことが、本当に子供の教育にプラスになるのかと、強い
疑問を感じないではおれません。

あの日、一緒に徹夜してくれた担任T先生、普段は頼りない先生だったけど、T先生がいなければ、
この思い出は なかったかもしれません。

もう大ベテランになっているはずのT先生に、改めてお礼を言いたいです。
そして、差し入れをしてくれたK君のお母さん、ほんとうにありがとうございました。

結局翌日(というか、徹夜したので「その日」ですが)は雨。
朝から学校には行ったけど、さすがに眠くて机で爆睡。
体育祭は1日延期になってしまったので、徹夜しなくてもすんだ、ということになりますね。

でも、翌々日の本番は好天に恵まれ、我々3年4組が見事に優勝!!
みんな感激にひたっていました。

出来すぎた話だけど、すべて事実です。
こんな体験ができた私たちは、本当に幸せ者だったと思います。


http://www.youtube.com/watch?v=a7cVkJGJcaU

あの頃を象徴する名曲。
「悲しい色やね」なのにメジャーコードで終わるのが救いです。
歌の舞台は海なのに、海と縁のないところで聴いていても心に染みてくるんですよね。

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さあ、福泉南中学校です。
学校南側の緑道からはこれが限界、というわけで、フェンスまで近づいてみました。

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ありゃ、こりゃダメですね。
でも・・・

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大変身!
まるでグランドに立っているかのような画像になりました!

デジカメの最大の武器の一つがこの、簡単にできるトリミング。
もともとトリミング前提で撮ってきたのです。

ちなみに、わが3年4組の教室は、一つ奥の建物の3階の右端、つまり時計のすぐ左下の教室でした。

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緑道+福南もまた、いい感じで撮れました。
こういう写真を撮るには、葉っぱの少ない冬のほうがいいですね。
長く伸びた影もまたいい感じで、学校の帰り道を思い出す風景です。

毎回恒例ですが、やはりBGMは村下孝蔵の「初恋」。

♪放課後の校庭を 走る君がいた 遠くで僕は いつでも 君をさがしてた


http://www.youtube.com/watch?v=mQfEP9KSJt8

この歌詞がこれほど似合う学校と風景はそうそうないと思います。

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なんとまあ、タイミングのいい時にやってきたのでしょう!
こりゃあ、夕日の金閣よりはるかにお宝になりますよ!

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右の校舎の2階、ここが確か音楽室だったはずです。
音楽のU先生、いつも私を激励してくださった恩人のお一人です。
福南を卒業した私は三国丘高校に入学して、U先生のちょうど20年後輩になるわけですが、
三国丘で3年間U先生の担任だったという、名物先生H先生に、私も3年間Readerを習いました。
世の中ほんとに狭いです。

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昔は背の高い靴箱がずらりと並んでいたはずの昇降口、今はすっきりしています。

2階の明るく眺めのいい長い渡り廊下、ここがなんとなくドラマがあって好きでした。
向こうからやってくる先生と会釈をしたり話をしたりするまでの、少しずつ近づいてくる感じ、それを演出して
くれたのがこの渡り廊下でした。
残念ながら、お目当ての○○さんとの出会い、みたいな場面はなかった・・・はずです。

そうそう、福南のホームページ。
http://www3.sakai.ed.jp/fukuizumiminami-j/
女子のセーラー服は昔のままですね。いやあ、なつかしい。
靴箱はずいぶん小さくなっていますね。生徒数が減っているのかな。

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今日はほんとうにいい時に来ました。
こんな写真、狙っても撮れません!

ライブカメラで確認すると、金閣も夕日を受けて見事な輝きを放っていました。
何度も逃している夕日の金閣、でも、まったく後悔しなかったですね。
母校でこんな写真が撮れるとは思ってもみなかったですから。

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部活や生徒会の居残りで帰りが遅くなった日、こんな風景に出会ったことはありませんか?
生徒たちが写っていたら、ほんとに昔にタイムスリップできそうです。

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さようなら、福南。


http://youtu.be/lIR06Op9Jnc

あの頃好きだった曲がこの曲、「トワイライト~夕暮れ便り~」。
中森明菜のシングル曲の中でいちばん好きな曲でもあります。
大ヒットした「セカンド・ラブ」の二番煎じ感があまりにも強かったためか、商業的には失敗作だったようで、
ベスト盤でも「この曲だけが外されている」ほどひどい扱いを受けている悲運の名曲。

むしろこちらのほうが哀愁があって好きなんですけどね。
それにしても、この頃の中森明菜は可愛かった。

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栂・美木多に戻ってきました。
このあとなんばに向かい、地下鉄、新幹線を乗り継いで東京の自宅で落ち着いたのは23時前でした。

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